私は詩の方面にはまったくうといが、茨木さんの詩は、とてもわかりやすく、内容も同世代の者として、痛いほど共感できるところが多くある。
あらためて、よく知られた「わたしが一番きれいだったとき」をよんでみた。
わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがら崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした
わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達が沢山死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落してしまった
わたしが一番きれいだったとき
だれもやさしい贈物を捧げてはくれなかった
ここで、思い出した、戦時中に18歳の凉湖さんが、昭和18年発行のわれらが同級報「紅」第1號に載せた次の短歌を。
緑濃き 木陰にたちて髪梳けば 手にも髪にも緑こぼるる
わたしたちはそのころ、青春の真っ只中にあった。そして戦局は下降の一方。とてもとても楽しむどころではなく、何もしてあげられなかった。
茨木さんの詩はさらに続く
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差だけを残し皆発っでいった
ここでも、級友の澤木さんが傘寿会のあとで作った次の歌を思い出す。
見送りの われに目をとめ軍服の 右腕わずかに 上げて行きしか
この軍服の友は戦死した安井君だ。安井君はそのころ病後の上に超多忙の中で「紅」第1號の編集に尽力され、編集後記が絶筆のなってしまった。ほんとうにあのころは、お互いに何もしてあげられなかった。そして、そのあと、わき目も振らず夢中で働いた戦後の六十数年、今となっては多くの友が幽冥ところを別にしてしまい、こんなところで、話しかける以外に術(すべ)がなくなってしまった。許せよ友よ、君らのことは決して忘れないから。

